1929年には世界大恐慌が日本経済を直撃し、街には失業者が溢れたが、松下幸之助は生産を半減しながら、社員を1人も解雇しなかった――。2012年11月発売予定の斉藤徹氏の新著「BE ソーシャル!」から、「はじめに」および、第1章「そして世界は透明になった」を6回に分けてお送りする。
天下泰平270年、花の江戸時代に遡ろう。江戸中期の天文地理学者、西川如見は「町人嚢」において、他人に尽くすとともに、天理をおそれて慎む「謙」という概念が町人道徳の基幹であるとした。さらに公共の整備などで協力する「結」、共同体の行事の費用などを折半する「講」、長屋に象徴される相互扶助の「連」といった庶民における助けあいの道徳観が、社会貢献や社会的責任を重んじる日本的経営の原点となった。また商家における「友過」という哲学は、主従関係や同僚関係に強い絆を発芽させる素地となったと考えられている。
その江戸時代にもバブル期はあった。生類憐れみの令で知られる五代将軍綱吉の時代、俗に言う元禄バブルだ。町人の勢力が台頭して社会は活況を呈し、上方を中心とした独特の文化が生まれた。この時期、幕府や藩の役人と結びついた政商型の豪商が登場し、役人接待や賄賂を多用して短期的利益の追求に奔走する。紀州みかんを江戸で売りさばいて大儲けしたという紀伊国屋文左衛門もこの時代に生きた伝説の商人だ。しかし、元禄バブルの崩壊で幕府は財政破綻を起こし、有力商人も軒並み財産没収の憂き目にあった。そして商人の営利活動を憎む風潮が世の中を覆いはじめる。
この時、石門心学を広めたのが石田梅岩だ。彼は元禄時代の反省に基づき、商人哲学に儒教や仏教、神道などの思想を取り入れ、その後の日本的経営に大きな影響を与えた。有名な言葉に「真の商人は先も立ち、我も立つことを思うなり」がある。営利活動を否定せず、本業を通じた社会貢献、社会的責任を説く彼の思想は、近江商人の伝統的精神となる「三方よし 〜 売り手よし、買い手よし、世間よし」につながっていく。「売り手」とは企業自身、「買い手」とは顧客、「世間」とは地域社会をあらわしている。企業自身が利潤をあげて社員に還元しなければ事業を持続できない。顧客に愛されなければ継続的な商取引は期待できない。そして地域社会に貢献するような事業でなければ継続的に存続できない。これら三者を同時に満たすことが肝要で、自らの利益のみを追求する姿勢は王道とは言えない。もとより近江商人は自国を離れて商売をする自由商人であり、常に追放されるリスクを背負っていた。その地で愛され、貢献する存在にならなければ明日の商売はない。「三方よし」は、そんな厳しい環境のもとに生まれた至言と言えるだろう。
現代の日本を支える財閥にも、この商道徳は引き継がれてきた。三井グループの創始者、三井高利はのちの三越となる呉服商越後屋を開業し、「現金安売り掛け値なし」という商習慣を覆す商法で成功をおさめた。さらに両替商に進出し「売り手悦び、買い手悦ぶ」の精神で大いに繁盛させ、三井家の基礎を築く。住友グループの発祥は銅精錬だ。「一時の機に投じ、目前の理にはしり、危険の行為あるべからず」で始まる家訓が代々引き継がれ、実業の大切さを説いている。回漕業を母体とした三菱グループは岩崎弥太郎が創立した。「小事にあくせくするものは大事ならず、宜しく大事業を経営する方針をとるべし、決して投機的の事業を企てるなかれ」で始まる家憲は、投機を諫めて勤勉を尊ぶ思想が貫かれている。
これらの商業道徳は明治経済の立役者となる渋沢栄一らに受け継がれ、日本隆盛の礎を築くことになった。米国企業が科学的管理法をベースに仕事をシステム化したのに対して、日本企業は人を中心とした独特の家族的組織を育みはじめる。1929年には世界大恐慌が日本経済を直撃し、街には失業者が溢れたが、松下幸之助は生産を半減しながら、社員を一人も解雇しなかった。「半日の工賃など、長い目で見ればたいしたことはない。それよりも社員を解雇して松下電器の信頼にヒビが入るほうが問題である」。彼のこの時の姿勢が、日本的経営の象徴となる終身雇用の起源になったとも言われている。そして、日本経済は世界でも類を見ない高度成長期を迎えた。
一方で、日本的経営が抱える深い悩みもあった。「過労死」という言葉が象徴する、過度な集団主義が生み出す抑圧的な職場環境だ。阿吽に呼吸を読み、諍いや論争を好まず、他人の評判を過剰に意識する国民性にも一因があるのだろう。上司からの暗黙の強制による長時間残業や休日勤務、それらによる精神的・肉体的負担が原因で亡くなる日本人は少なくない。「KAROSHI」は他国語の辞書にも掲載されている。なぜなら日本特異な現象であり、先進国ではほとんど事例がないからだ。発展途上国では散見されるが、日本でおきるホワイトカラーの過労死は世界でも極めて稀と言われている。海外では、金銭的報酬に見合わない労働を行う習慣は基本的に存在しない。また転職が日常的に行われていること、労働契約違反に対する損害賠償が高額なことなど、個人の自由を尊重する文化が過労死を防止する要因になっているのだ。日本においても労働基準法は整備されており、健康を損ねるような残業は禁止されているのだが、大企業はおろか官公庁においても法律が遵守されないことが多く、サービス残業が常態化している企業も少なくない。
滅私奉公。個人的な感情を抑え、公に奉ずることは武士道にも通じる考え方で、日本では古くから美学とされていた。この精神的な志向が、過労、サービス残業、休日出勤、有給休暇の未消化といった労働問題の原因になっているという見方もある。顧客第一主義を、社員の滅私奉公で実現する。多くの日本企業が暗黙に持っているこのような歪んだ考え方を修正し、社員1人ひとりの幸せを尊ぶ経営に進化させていくこと。これは日本の経営者にとって重大な責務と言えるだろう。
斉藤徹 株式会社ループス・コミュニケーションズ代表。1985年4月慶應義塾大学理工学部卒業後、日本IBM株式会社入社。1991年2月株式会社フレックスファームを創業、2004年4月全株式を売却。2005年7月株式会社ループス・コミュニケーションズを創業。現在、ループスはソーシャルメディアのビジネス活用に関するコンサルティング事業を幅広く展開している。「ソーシャルシフト」「新ソーシャルメディア完全読本」「ソーシャルメディア・ダイナミクス」「Twitterマーケティング」「Webコミュニティで一番大切なこと」「SNSビジネスガイド」など著書多数。講演も年間100回ほどこなしている。
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