顧客の声を可視化して事業に生かすべく、伝統的なマーケティング手法に最新の生成AIを取り入れて挑むのが、「GLOBAL WORK」や「niko and ...」などのSPA(製造小売業)ブランドを展開するアダストリアだ。
同社では現在、社内向けアプリとして開発した仕組みを使い、「全員マーケター化」のビジョンを掲げた取り組みが軌道に乗りつつある。実証実験からリーダーを務めてきた2人に、Google Cloudの主催イベント「AI Agent Summit ’25 Spring」終了後に詳細を聞いた。
カジュアル衣料および生活雑貨を中心に多くのSPAブランドを国内外で展開しているアダストリア。2024年11月末時点で、グローバルで1500店超、国内だけで1350店超を運営している。売り上げ構成比の7割が店舗由来である。残りの3割がECサイト「and ST」由来だ。「and ST」の会員数は現在、1900万人を超える。
2024年9月、アダストリアは生成AIのテクノロジーを活用し、接客スタッフが店舗で収集した顧客の「本当の声」を、本部のマーチャンダイザー(MD)が商品開発や改良に役立てる社内向けアプリ「STAFF VOICE」を構築し、本格的な運用を開始した。まず主力ブランドのGLOBAL WORKからこのアプリの利用を始め、その後も仕組みの運用と改善を続けている。
梅田氏が「本当の声」を強調するのは、これまでは難しかったネガティブな意見を収集することが容易になったためだ。
アパレルのような商品の鮮度が重要な業態では、顧客のニーズを迅速に取り入れ、商品企画に反映することが非常に重要だ。本部のMDは、毎年のトレンド要素を加えつつ、商品企画や定番商品の改良を行う。その材料を提供するのが顧客の生の声だ。アダストリアの場合、「春」「夏」「晩夏」「秋」「冬」「梅春」の6つのシーズンを設定しているが、実際の商品の入れ替えは週単位になる。このサイクルに合わせて、できるだけセールに出さずに済む商品を増やすことが、同社のビジネスの生命線である。
一般に、ECサイトやECモールでは、商品を購入した顧客がレビューを残す仕組みがある。and STも同様の仕組みを運用しているが、基本的に商品購入に至らなかった人のレビューは得られない。
特にand STには熱心なファンが多く、それ故の悩みもあった。アパレル業界全体ではネガティブな意見の割合が4割程度と言われる中、and STでは突出してポジティブな意見の割合が多い。
「and STのレビュー件数は年間約100万件にもなります。一度、Googleの大規模言語モデルGeminiで分析したところ、95%がポジティブな意見と分かりました。and STが扱う商品数は年間で約6万点。ポジティブな意見が95%だとすると、ネガティブな意見は商品1点当たり1〜2件という計算になります」(上田氏)
商品の改良には、ネガティブな意見も必要だ。それが収集できないというのは、それはそれで問題だというわけだ。
一方、店舗のビジネスでは、以前から顧客の意見を商品企画や接客の改善につなげる活動を続けてきた。店舗であれば、来店客が商品を手に取って試着した後、接客スタッフは必ず感想を尋ねる。購入に至らなかった場合は、そのときに得られた意見はバックヤードで記録される。実際、主力ブランドのGLOBAL WORKでは、このやり方で全200店舗から顧客の意見を収集していた。「接客のプロのコミュニケーション能力を通すことで、お客さまの声を集める土壌自体はできていた」と梅田氏は分析する。
ただし、その仕組みは、店舗スタッフ、店長、本部のMDそれぞれが不便を感じるものであった。まず、店舗スタッフは記録を紙のメモに残すやり方で意見を収集していた。本来の業務を圧迫しないよう、接客や商品メンテナンスの合間に行うため、記録の件数が増えない。本部への報告のため、店長は記録のサマリーをExcelにまとめる作業が必要でもあった。
このやり方では、どうしても大事な情報が抜け落ちてしまう。例えば、ある商品の「丈が短い」という意見が1件なのか、10件なのかで重要度は異なるはずだが、それが分からなくなる。また、「思ったより丈が短かった」という意見を見たとき、「私もそう思っていた」と共感してしまい、サマリーにより強く反映されてしまうこともあった。さらに、店長から本部への報告頻度は月に一度なので、MDが必要とするときにデータあるとは限らない。改良のためのインサイトを得るまでには時間がかかる状態だった。
この問題解決に大きく貢献したのが、生成AI「Gemini」をはじめとするGoogle Cloudが提供する最新テクノロジーだ。アダストリアとand STはこれを利用し、社内アプリ「STAFF VOICE」を中心とする新しい収集システムを構築した。
旧来の仕組みとの最大の違いは、店長の負担が大幅に軽減されたことだ。これまでは店舗スタッフがすき間時間にメモを書いていたが、現在ではSTAFF VOICEを起動して顧客との会話を録音し、送信するだけで済むようになった。本部のMDは「Google Looker Studio」で構築したダッシュボードにアクセスし、収集した顧客の声からインサイトを得られるようになった。
生成AIの使いどころは、大きく「音声データからの文字データへの変換」と「文字データの分類」の2つだ。上田氏は「店舗スタッフがやりたいのは、目の前のお客さまに楽しんでもらって、笑顔で帰っていただくこと。良い体験の時間を作りたいからこそ、アプリはシンプルな操作で使えることにこだわった。選択項目も少なくし、直観的に使える録音メインにした」と、開発時の工夫点を説明した。
1件当たりの録音時間は30〜50秒程度。要領よく録音できるよう、必要な項目を整理したテンプレートを用意する工夫もした。このテンプレートはブランドごとに少しずつ異なるものを運用している。ファッション性の高いブランド、定番品が中心のブランドなど、それぞれの特性に配慮したためだ。また、「(シルエットや着心地に影響する)身幅を気にしているお客様がいたら、積極的にフィードバックしてほしい」など、ブランド側から店舗に聞いて欲しいことを依頼することもある。一方で、「価格が高い」のように、ブランド側でコントロールできないことは録音に含めない。
音声から文字への変換時の精度は約90%だ。周囲のノイズ、個人の滑舌による精度への影響が懸念されるが、テクノロジーで補正したデータを使うようにした。アパレル業界特有の言い回しや表現は、用語集への登録で対応し、解釈できる水準の精度を担保している。文字データの分類では、「サイズ」「シルエット」「デザイン」「素材」「カラー」「着心地」「重量」の7項目で整理し、ダッシュボードに展開している。
前述の「丈が短い」のように、「サイズ」に関するネガティブな意見が何件あるのか、商品単位でダッシュボードから確認できるようになった。毎日ダッシュボードを見れば、買わない理由が見えてくる。この7つはいずれも販売よりも上流の素材調達から生産で考慮するべき項目だ。データから改良ポイントを見つけられれば、次のシーズンの商品企画に反映し、より売れる商品に改良できるチャンスが生まれる。
梅田氏と上田氏は「GLOBAL WORK」では、全店舗のスタッフを全員マーケターにするビジョンを掲げ、STAFF VOICEを運用している。これまでは接客を最優先していた店舗スタッフが、マーケターの視点でデータ収集を行い、商品改良に生かすことができるようになった」と語る。
実際、STAFF VOICEを活用しての半年間で、GLOBAL WORKでは20以上の商品改良実績が生まれた。上田氏は、2つの例を紹介してくれた。その1つは女性向けのパンツで、商品コンセプトに対し、素材がカジュアルでイメージとのズレがあったことが購入に至らなかった理由と判明した。そこで、素材をビジネスシーンにも合うものに、またシルエットをストレートに変更したところ、売り上げが前年度比で10%超増加した。アダストリアでは、オンとオフの両方のシーンで着られることが評価されたと分析している。
もう一つは女児用のプリーツスカートの例だ。以前の商品はスカートにインパンツが縫い付けられていた。あってもいいが、別のボトムスと合わせたい時、あるいは習い事で着替えさせたい時に不便と顧客は感じていたが、「外れればいいのに」という声は埋もれていた。スカートとペチパンツをセットで販売するように商品を変更したところ、商品レビューに喜びの声が多く寄せられる結果になった。
関係者のSTAFF VOICEへの評価は総じて高い。負担の減った店長や店舗スタッフからは「これまでは本部に意見を伝えても、改善につながったのか分からなかった。今はMDから実施後のフィードバックをもらえる」と、商品開発に自身の意見が反映されるようになったことを喜ぶ意見が多い。
MDからも生の声が商品単位で集まることが評価されている。販売が好調な商品でも、「丈が短い」という意見の件数が多い場合は、「生産数を絞って丈が短いものを作ってみてもいいかもしれない」など、攻めの意思決定もできるようになった。STAFF VOICEはそれぞれの業務に溶け込み、他のブランドへの展開が進んでいる。
アダストリアは、今後に向けてSTAFF VOICEをもっと進化させたいと意欲的だ。梅田氏は「お客さまの声を可視化するだけで終わらせず、AIエージェントに商品や接客の改良ポイントを提案してもらえるようにできないか。意思決定に関与できるように進化させたい」と述べた。また、外部からもSTAFF VOICEを「使ってみたい」という要望をもらっており、アパレルだけでなく、飲食のような他の業態にも展開する計画を明かした。
上田氏は「一方的にお客さまに商品を薦めるのではなく、リアル店舗での対話と同様のことがECサイトでもできるように、“全員マーケター化”を進めていきたい」と語った。
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