高級旅館「柊屋」から学んだおもてなしをWebの接客で再現するゲーミフィケーションの設計

Webにおいてユーザーを「おもてなし」するポイントは、ユーザーがいかにその分野に習熟したかという「熟練性」と「ユーザー同士の関係性」を目に見える形で提示することです。

» 2013年02月22日 11時00分 公開
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「おもてなし」を体験しに、高級旅館に泊まったが…

 「ゲーミフィケーションとは根本的には“おもてなし”である」という主張を私は繰り返ししてきました。時間の洗礼を経て現在生き残っているおもてなしとは一体どんなものなのかを調べた結果、この主張に至ったのです。数あるおもてなしの中で鮮明な印象として残っているのは「柊家」という京都の老舗旅館でのできごとです。

 ゲーミフィケーションに関する本を書く過程で、柊家の女将である西村さんにインタビューしたことがあります。ゲーミフィケーションを「おもてなし」あるいは「Webでの接客として使うこと」を定義し、新しい可能性を生むきっかけとなったのがこのインタビューでした。1時間ばかり柊家という旅館がどんなこだわりを持ってサービスを提供しているのか話を聞いた後、実際の部屋をいくつか案内していただきました。中には川端康成が長期滞在して小説を書いたという部屋もあり、1つひとつ丁寧に説明していただき、旅館のこだわりがいたるところに散りばめられていることがよく分かりました。

 ……というのは表面的な社会科見学としての感想です。部屋に入った際の率直な印象は、「あれ、これって普通の和室だよなあ。うちの(京都の)おばあちゃんの家とどう違うのだろう」というものでした。断っておきますが、亡くなった祖母の家は築100年近い、京都では「普通の家」です。柊家といえば日本でもトップクラスの旅館であり、比べるべくもありません。私にはその違いを認識することができませんでした。一見して何も特別なことがないのです。

柊屋の価値を理解するのに必要な「自分磨き」

 ただ、その後西村さんの説明をうかがうと、その「特別さ」がようやく分かってきました。生けてある花、庭の佇まい、そこここに見られる柊の文様、ふすま、お風呂。(柊家という旅館にとってはあまりにも当たり前で)説明を省略されたところも多々あると思いますが、ほぼ全てにおいて徹底してこだわりがあり、まるで芸術品の中で過ごしているかのようでした。「こだわり」があまりにも自然と調和していて、いやらしさがまるでない。それがこの旅館におけるおもてなしの表現であり、川端康成が好んで滞在したのも分かる気がしました。

 同時に、私自身はこの旅館に泊まる資格がないとも痛烈に感じました。芸術方面の審美眼や造詣に欠ける人間が泊まっても柊家の価値を味わうことはできません。かといってそれを説明して下さい、というのはなんとも野暮です。サービスの本当の価値を味わうためには、顧客として一定水準以上の自分磨きが必要なのです。柊家は宿泊料金がものすごく高いのですが、この価値が分かる人にとってはここでしか得られない貴重な体験であり、十分に意味のある値段なのだと思います。

 残念ながらその水準に至っていない私には意味がよく分からない値付けに感じました。この時点で自然と顧客の選別が行われているわけです。もっとはっきり言えば「値段の価値が分からない人は来なくて結構です」という暗黙のメッセージがあるのかもしれないと感じました。なるほど京都の敷居の高さ、あるいは「イケズの文化」というのはこういうことを指して言っているのかもしれません。

柊屋の「おもてなし」を通して感じた、ゲーミフィケーションの可能性

 ともあれ、この体験はゲーミフィケーションの接客としての可能性を強く感じさせるものでした。顧客に自分磨きを求めるということは、真の価値を理解できるようになるまでに自分を磨く過程があるということです。自分磨き、自己成長感の演出はゲームが得意とするところです。こうした過程もサービスとして顧客に提供できれば、より幅広い層が柊家の魅力を感じられるようになるでしょうし、結果として文化的な水準を向上させることにもつながるかもしれません。ライトユーザー向けの部屋を用意すればビジネスの拡大も考えられます。柊家は旅館なのでキャパシティに限界があります。むやみに拡大してもサービスのクオリティを保つことが難しくなるでしょう。また、おもてなしの種明かしをしてしまうと京都的な奥ゆかしさに欠ける点に留意が必要です。

 これがWeb上であればどうでしょうか? 柊家のような芸術レベルまでのこだわりは稀としても、さまざまな企業が工夫をこらして製品を作り、サービスを提供しているはずです。値段の安さや利便性ではなく、製品/サービスの価値を理解してくれるお客さまに提供したい、自分たちのこだわりを分かって欲しいという思いは、どの企業にもあると思います。

 ゲーミフィケーションを活用すれば、企業が提供している分野におけるユーザーの熟練度を高めることができます。Webであればそれを仕組みとして実装できますから、キャパシティに悩まされることもありません。本当に熟練したユーザーには、レベルの高いものを提供し、初心者には分かりやすさや丁寧さを提供することができます。

 こうした工夫の結果、熟練顧客を優良顧客に成長させ、新規顧客を熟練顧客に育てていくことも可能でしょう。ゲーミフィケーションを接客の手法として捉える――こうした新しい形の接客手法は、技術的にはすでに問題なく実践できるはずです。さらに顧客交流ということで言えば、接客というよりは「場の提供」という意味合いが強くなりますし、サービス提供者が介在する度合いもより間接的なものになります。そもそも「接客」という言葉自体が当てはまらないかもしれません。

「おもてなし」をゲーミフィケーションで再現する

 言葉がどうであれ、サービスを利用する顧客からすれば、サービスの利用体験を豊かなにしてくれる施策があれば、自然にもっとそのサービスを使おうという気になります。直接的に顧客と触れ合うことがなくても、顧客の来店体験/購買体験をリッチにすることは可能なのです。柊家の体験から転用できる要素としてはもう1つ、「自然に顧客が育つ」というものがあります。柊家が顧客に芸術的審美眼を暗に求めているとすれば、柊家を訪れるほど知らないうちに審美眼が磨かれていくというような考え方です。ともすれば、「敷居の高さ」につながってしまうこの要素も、柊家を体験した私にはある意味顧客に対する「優しさ」に感じます。

 この体験をゲーミフィケーションの文脈に落とし込むと、「チュートリアル」に相当するのではないでしょうか。昨今のゲームでもチュートリアルが充実しており複雑なルールを1つひとつ覚えていける作りなど、初心者にやさしい設計のものが多くありますが、これと同じことです。中には難易度を非常に高く設定したゲームも存在しますが、それらはコアなプレイヤーを対象としていて、幅広い層には受け入れられにくいものです。ビジネスの場合においても、顧客の裾野を広げ、売り上げを拡大するには、初心者に優しい設計となるでしょう。顧客が育つとは具体的に言うと、ある特定の分野に対しての知識を増やし、スキルを身につけることです。さらに、特定の製品やサービスに関して自分ならではの使い方や楽しみ方を見出すことなども考えられます。

Webならユーザーの「熟練度」や「関係性」を明示できる

 また、そのブランドとの関係性が育っていくこともゲームの要素です。リアルな店舗の場合であれば、それは主に店員さんとの人間関係を意味するので非常に分かりやすいのですが、Webにおいて、これはどのように表現されるでしょうか? リアルの人間関係では、顧客から見て店員さんとの関係性が深まることで「個別対応をしてくれるようになる」ということがあるでしょう。店員さんは頭の中で「購買履歴」「センスに合いそうか」「よく来店してくれるからオマケをつけてあげよう」などと考えながら個別に対応しているはずです。関係が長く、よく知っている顧客であればあるほど、さまざまな発想が湧きやすくなるでしょう。

 これはWebでも同じです。ゲーミフィケーションでは、例えばバッジや経験値/レベルといった概念で関係性を表現します。顧客ごとに報酬要素を提供することもあります。さらにWebの場合は、顧客同士の関係性の構築もこの概念に含まれています。顧客同士の関係性を深めることでサポートコミュニティを発達させ、製品開発に活かし、上位顧客の活躍の場を新たに設けることなどにつなげることができます。

 このように、「熟練性」と「(顧客同士の)関係性」の2つの観点で顧客育成を目指したサービスは「Web上での接客」としてあるべき姿であり、ゲーミフィケーションが得意とする領域です。楽しみながらサービスを利用した結果として、熟練性と関係性を備えた顧客が育ってゆけば、購入回数などビジネス的指標でも自然と成果が出てくるでしょう。

※この記事はGAMIFICATION.JPの「ゲーミフィケーションと接客の接点は柊家(ひいらぎや)での体験が原点だった」の原稿を一部修正して転載しています。


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