ナイキジャパンで「NIKE.jp」や「NIKE iD」の立ち上げを担い、2016年に「グローバルワーク」「ニコアンド」など多数のブランドを展開するアダストリアに転じた久保田 夏彦氏に、ブランド戦略コンサルタントの山口義宏氏が聞く。
アダストリアは「グローバルワーク」「ニコアンド」「ローリーズファーム」など、国内外で20ブランド以上、約1500店舗を展開するカジュアルファッション専門店チェーンだ。
「Play fashion!」をコーポレートスローガンとして掲げる同社はデジタルのコミュニケーションにも力を入れている。直営Webストアの[.st](ドットエスティ)はECのみならず、全国の店舗スタッフによるスタイリング提案やレビュー投稿で人気を博している。会員数は約700万人。1日のUU数は50万以上だ。
今回のゲストである久保田 夏彦氏は、そのアダストリアで執行役員 マーケティング本部長を務める。久保田氏はもともとエンジニア出身。1996年にナイキジャパンに転職し、「Nike.jp」「NIKEiD」の立ち上げに携わり、東京マーケティングGM、ブランドデジタルマネージャーなどを経験し、2016年12月にアダストリアに転じた。
異色のキャリアパスを歩んできた久保田氏に、旧知の間柄でもある山口義宏氏が仕事観について聞いた。
山口 久保田さんはもともとSIer(システムインテグレーター)出身だったんですね。
久保田 本当はコンサルタントになりたかったのですが、コンサルティング部には配属されず、SEやプログラマーとして、システム開発の一部分と、クライアントと仕様を決めるような業務に従事していました。まだWindows 95が出る前のことです。そこで3年やったのですが、プログラミングの仕事をオタクになるくらい好きだったかというと、違った。そこで、転職を考えていたところに、新聞でナイキジャパンの求人広告を見つけたのです。当時は「ナイキ エアマックス95」が流行っていたころで、事業を拡大していたのです。求人内容はシステム部でアプリケーション開発をするポジションでした。
山口 それまでSIerでやっていた仕事を今度は事業会社の側でやることになったのですね。
久保田 入社してからはずっと、ナイキジャパンのWebサイトを作りたいと言っていました。グローバルの「Nike.com」は既にあったのですが、日本語版はまだなくて。1999年にNike.jpを立ち上げるプロジェクトの社内公募があって、手を上げたのです。そこで責任者として携わることになり、当時米国で話題になっていた、シューズのカスタマイズができるサービス「NIKEiD」を日本でも導入したいと考えました。米国のチームと交渉する一方で、それまでゼロだったeコマースの体制を作るために日本の物流事業者と提携を進め、iモードサイトまで作りました。最初は副社長直轄の小さなプロジェクトチームという位置付けでしたが、やがて全世界的に組織変更があって、チームごとマーケティング部門に異動しました。
山口 SIerから始まって事業会社に移り、そこで担当したデジタル関連業務が自然とマーケティング的な役割を帯びるという形で、気が付けばマーケターになっていたというのは、面白いですね。
久保田 自分から強い意志を持って「マーケティングをやる」とは思っていなかったですね(笑)。ずっとテクノロジーをバックググラウンドとして過ごしてきたので、マーケティングは素人でしたが、面白そうかなと。そのままデジタルだけでなくマーケターの仕事全般にシフトしました。東京とロンドン、ニューヨークで若者向けのキャンペーンが行われることになったときに東京のマーケティング部門責任者になり、その後は旗艦店であるナイキ原宿のオープニングキャンペーンも担当しました。
山口 私が初めて久保田さんにお会いしたのはちょうどマーケティングに異動されたころでしょうか。新人コンサルタントで、戦略もないので取りあえず自分が好きな会社を書き出して、代表電話を調べてアポイントを取ることから始めました。1社目に電話したのがナイキジャパンで、運よく総合受付がつないでくれたのが久保田さんだったというわけです。当時、私は23歳くらいで、右も左も分からないド新人でしたが。今となっては、ご縁をつないでくださった総合受付の方に感謝です(笑)。しかし、外形的に見ていて思うのは、ナイキは本当に特殊な会社ですよね。新しいことを最初にやることが大事というカルチャーで、目先の投資回収にこだわらず、とにかく新しい施策で攻め続ける。スポーツウェア〜スニーカーの市場は、王者のナイキが常に一番アグレッシブで、他社がそれをフォローするという、極めて特殊なカテゴリーです。
久保田 ナイキには、いわゆるPDCAというのがないんですね。新しいことしかしないので、PlanとDoと社内レポートしかない(笑)。レポートが世界中に配信されて、「日本はすごいことやっているな」と言われたら勝ちみたいなところがありました。東京プロモーションでも、ロケーションが東京というだけで、何をやるかというルールはありませんでした。商品を作ってもいいし、イベントに協賛してもいい。手法は問わないので、東京の若者たちに意義があって一番刺さることをやれということでした。そこで、「東京Just Do It.」などの広告も作ったし、ムービーも作りました。今流行っているインフルエンサーマーケティングみたいなこともやっていました。
山口 以後はずっとマーケティングに携わってこられたのでしょうか。
久保田 実は、途中で1年間ほど事業サイドに移っています。当時、米国の有名なマーケティングの人たちのキャリアパスを見ていると、多くのCMOがビジネスサイドに転身していて、自分もいつかは、マーケターとしての経験と知識を生かして事業責任を負ってビジネスを回していくのだろうと思っていたのですが、実際にやってみると、面白くないし、できないんですね。生々しいところをほふく前進していくような世界で、自分には向いていないと痛感しました。自分にはお金を稼ぐより使う方が向いている(笑)。それでマーケティングに戻してもらってから、新しいEコマースのマーケティングなどを手掛けました。
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