SASのCMOが語る マーケティング部門が社内の生成AI活用のけん引役に適している理由CX改善におけるデータとAIの使い方

データとアナリティクスの世界で半世紀近くにわたり知見を培ってきたSAS。同社のCMOに、今日のAIブームへの思いとSASのマーケティングソリューションの強みを聞いた。

» 2024年07月26日 07時00分 公開
[冨永裕子ITmedia]

 SAS Institute(以下、SAS)は統計解析やアナリティクス領域の老舗ソフトウェアベンダーとして知られる。最近ではAI(人工知能)プラットフォーム「SAS Viya」を中核に、金融機関や公共機関、製造業など、多くの企業の課題解決を支援してきた。

 リスク管理や不正検知、IoTなどの領域での実績が目立つSASだが、マーケティング関連ソリューションも柱の一つである。主力製品「SAS Customer Intelligence 360(以下、CI 360)」は日本での導入実績も多い。AdobeやSalesforceのような競合のプレゼンスが際立つこの領域で、どのようにSASの強みを発揮しているのか。エグゼクティブバイスプレジデント兼最高マーケティング責任者(CMO)のジェニファー・チェイス氏に話を聞いた。

ジェニファー・チェイス氏

いわゆる「MA」とSASのマーケティングソリューションの違い

 SASの強みは企業のビジネス課題を解決するためのデータとアナリティクスの基盤にあり、CI 360はシナリオベースで施策を展開する他者のMAの製品とは明確に異なるとチェイス氏は断言する。

 パーソナライゼーションを行う上では、データを使って意思決定を行い、アクションにつなげて顧客に意味のある体験を提供しなくてはならない。競合ベンダーの製品は、顧客とのインタラクションを通じて多くのデータを収集している。一方、SASはそのデータを基盤に取り込み、アナリティクスでマーケターの「Next Best Action(NBA)」を示すことを強みとしている。そのため、実際は競合製品との共存が可能だ。事実、SASのマーケティングチームはCI 360を中核とするMarTechスタックを構築し、競合製品を併せて使っている。

 SASは自社の製品を市場に投入する前に「Customer Zero」と呼ばれる社内プロセスで、顧客ニーズを満たしているかを事前に検証し、R&D部門にフィードバックを提供している。CI 360であればチェイス氏がリードするマーケティングチームが最初のユーザーということになる。

 このプロセスは最新の生成AIユースケースの機能実装でも同じだ。SASのマーケティングチームはR&Dと共に、50以上のユースケースの中からマーケターの生産性向上と顧客体験(CX)改善に貢献すると判断したものを優先的に選び出した。結果、以下のような機能がCI 360に実装されることになった。

  • オーディエンス生成:メッセージやオファーと組み合わせ、ターゲティングオーディエンスを生成してくれる。
  • Audience Copilotの提供:マーケターがオーディエンスを理解するためのセルフサービスアシスタントで、会話型インターフェースを提供する。
  • メールの件名の提案:開封したくなるようなメールの件名を考えてもらうこと、あるいは複数の件名候補を提案してもらうことができる。

“ハイプ”から現実へ、問われる生成AIの真価

 生成AIをはじめとするCI 360の新しい機能は、ブラッシュアップを経てチェイス氏のチームから全世界に展開していくが、SASではマーケティング組織の中に生成AIのCoE(Center of Excellence)を設置し、活動を進めてもいる。2023年はユースケース探索の年だったが、2024年はその結果を踏まえた社内展開を拡大する年と位置付けている。CoEでは価値の高いユースケースを選ぶことに加え、マーケターにとって責任ある使い方ができるか、意義のあるCXの提供ができるかを検証しなくてはならない。機能実装では、ユースケースの質を量よりも優先している。

 チェイス氏のチームとR&Dチームとの共同での取り組みから、マーケティング部門は社内の生成AI活用のけん引役になり得ると分かった。もっとも、これはSASに限った話ではないようだ。SASが企業の意思決定者を対象に実施したグローバル市場調査の結果によれば、「組織内のどの部門が生成AIを使用または使用を計画しているか」という質問に対し、マーケティング部門は85%で、営業部門の86%に次ぐ結果になった。いまやどの部署でも生成AI活用は大きなテーマだが、マーケターの業務内容はとりわけAIとの親和性が高いとチェイス氏は考えている。

 「CXの改善とは、私たちが常に意識するべきマインドセットになります。生成AIはまだ“ハイプ(過剰な期待)”段階のテクノロジーですが、日常のものにしていかなくてはならない」(チェイス氏)

 SASには機械学習という概念が生まれて間もない頃から20年以上、AIの知見を蓄積してきた自負がある。技術知識だけでなく、業界知識や業務知識も豊富に蓄積してきた。その知見を顧客のビジネス課題解決に生かしている。

 日本企業の例を挙げると、SMBCコンシューマーファイナンスの債権管理部では、SASのAI機能を使ってCXの改善と業務プロセスの改善の両方に取り組んだ。導入した製品は、AIプラットフォームのSAS ViyaとNBA最適化のための示唆を提供する「SAS 360 Engage: Optimize」である。

 消費者金融の債権回収の問い合わせ窓口では、各種コミュニケーションチャネルから膨大なデータを収集している。データの種類も多い。債権回収業務の中でも負荷の大きい初期督促では、顧客への過度なコンタクトは禁物だ。一方、返済相談では親身で丁寧な対応が求められる。そこでSMBCコンシューマーファイナンスは収集した多くのデータを分析し、窓口のオペレーターが対峙する顧客とどうコミュニケーションを取るのが適切か、明らかにしようと試みた。SASの取り組みはCX改善だけでなく、窓口でストレスにさらされるオペレーターの体験改善にも役立っている。「このようなコミュニケーションの最適化で必要になるのは統計解析の知見です。シナリオベースでコミュニケーション施策を展開することが中心のMAにはできないこと」とチェイス氏は強調した。

SASのAI戦略の柱はLLMと合成データ、デジタルツイン

 生成AIについて語るとき、多くの人はLLM(大規模言語モデル)について語る。しかし、チェイス氏は「生成AIはLLMだけではなく、他にも重要なテクノロジーがあります」と指摘する。実際、SASは今後に向けてLLMに加えて「合成データ」と「デジタルツイン」という3つのAIテーマに注力する意向を明言している。

 合成データとは、GAN(敵対的生成ネットワーク)のような手法を利用して本物のデータを忠実に再現したものを指す。マーケティングのデータ管理戦略では、既存のデータソースを全て集約するが、実際にそのデータが使えるかどうかはまた別の話だ。例えば金融機関やカード会社は顧客のデータからモデルを構築し、パーソナライズしたオファーを提供したいと考える。しかし、モデルのトレーニングでは、どんなに本物のデータがそろっていたとしても、プライバシー保護の観点から使えない事態に直面するかもしれない。この理想と現実のギャップを埋めるのが、統計的に処理された合成データである。

 デジタルツインについては、製造業で多くの利用実績がある。分かりやすいところでは、故障場所の特定など、本来あるべき姿と現実とのギャップを分析することに使われている。マーケティング部門であれば、例えばイベントのツインを作ってCXの観点で検証するといった使い方が考えられる。イベントにどんな人が来てくれるのか、どんなコンンツを企画すると喜んでもらえるのかをシミュレートしたり、実際のイベント開催中にツインを見ながら顧客体験の好ましくない部分を見つけ、修復するといったこともできるだろう。

責任あるマーケティング

 CMOであるチェイス氏にとってもう一つの重要なテーマが「責任あるマーケティング」だ。その意味するところは、新しいテクノロジーとの付き合い方を明確にすること、顧客のデータを保護すること、そしてマーケティングリソースの最適配分を考えることだ。責任あるマーケティングを実現できて初めて、顧客との間に信頼関係が芽生え、育まれていく。

 AIがマーケティングを高度化するのは間違いない。だが、それはあくまで意義のあるオファーを提供するためのものでなければならない。過剰な情報の押しつけや気持ち悪さを感じさせるほどの知り過ぎたパーソナライゼーションなど、顧客の望まない形で“高度なマーケティング”が実践されるのであれば、本末転倒だ。

 「AIに限らず、どんなテクノロジーでも新しいものを採用するときは、常に責任を伴う判断が求められます。私たちにはお客さまに価値を提供する責任があります。どんなときでもカスタマーファーストでありヒューマンセントリック(人間中心)でなければいけません」とチェイス氏は訴えた。

執筆者紹介

冨永裕子

冨永氏

とみなが・ゆうこ フリーランスのITアナリスト兼ITコンサルタント。2つのIT調査会社でエンタープライズIT分野におけるソフトウェア分野の調査プロジェクトを担当する。その傍ら、ITコンサルタントとして、ユーザー企業を対象としたITマネジメント領域を中心としたコンサルティングプロジェクトも経験する。新興領域、テクノロジーとビジネスのギャップを埋めることに関心あり。


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