新市場の創造を目指す挑戦者を紹介します。
(このコンテンツはBRAND PRESS連載「イノベーター列伝」からの転載です)
市場の常識を変えるような華々しいプロダクトやサービスが日々メディアに取り上げられる今日。その裏では無数の挑戦や試行錯誤があったはずです。「イノベーター列伝」では、既存市場の競争軸を変える挑戦、新しい習慣を根付かせるような試み、新たなカテゴリーの創出に取り組む「イノベーター」のストーリーに迫ります。今回話を伺ったのは、西アフリカ・ガーナ共和国の村を支援するガーナNGO法人MY DREAM.orgの共同代表を務めつつ、アフリカと日本の架け橋となる新会社SKYAHを2018年に立ち上げた原 ゆかり氏。外務省勤務、米国留学と華々しい経歴を持つ同氏に、支援において真に必要なこととは何かを聞きました。
現在はアフリカと日本を軸に仕事をしていますが、その原点は、中学生のときにテレビで見たNHKのドキュメンタリー番組にあります。その番組は、フィリピンのスラム街でゴミを拾い集めて生活する少女を取り上げたもの。本来であれば、小学校に通うはずの年齢の少女が、ゴミ山に埋もれている金属やペットボトルなどを拾って、それをお金に替えることで家族の生計を支えていました。
その映像を見たときに、ものすごい嫌悪感を覚えたんです。このフィリピンの少女が妹と同じぐらいの年齢だったこともあり、衝撃とともに「なぜ、こんなことになってるの……」という疑問を抱きました。それ以来、世界情勢に興味を持つようになりました。
「高校生になったら留学したい」と父に掛け合ってみたのですが、「自分が住んでいる日本のこともよく知らないのに、海外に行っても得られるものは少ない」と反対されてしまいました。あまりにも的を射ていたので全く反論もできず、ただ悔しかったですね。その代わり、「しっかり英語の勉強をすれば、海外の大学に進学してもいい」という交換条件を出され、その悔しさから高校時代は英語ばかり勉強していました。
留学に向けて準備を進めていたのですが、実際に進学したのは東京外国語大学でした。実は、留学に対して父は反対こそしなかったのですが、「海外の大学は9月入学だから、日本の大学に半年間だけ通ってみたら?」と提案されたんです。私もその意見に納得して東京外国語大学に入学しました。
そこで出会ったのが、“模擬国連”のサークルでした。模擬国連とは、学生たちが、国連に加盟する各国の大使役になり、実際の国連会議を模して、特定の国際問題に対してリサーチし、ディスカッションや交渉を行うというもの。模擬国連会議全米大会に日本代表として参加するなど、とても刺激的でした。自分の興味とも一致していたので、わざわざ海外の大学に留学する必要がなくなってしまったんです。いま思うと、留学していたら現在の仕事はしていなかったかもしれません。
模擬国連の活動を通して、各国の本部が抱える“事情”と、現場が抱える“課題”に大きなギャップがあることに気付きました。例えば、フィリピンのゴミ山の少女が直面するような問題を解決しようという共通の目的があるのに、双方の“事情”によって対策が進まず、お互いに文句を言い合っているような状況です。会社でも現場から「経営陣は何も分かっていない」というようなグチが出ることはよくありますよね。それと同じようなことです。
こうした本部と現場のギャップを埋めたいと思い、大学3年生のときに日本の“本部”にあたると考えた外務省を目指すことを決意しました。おそらく、人生の中でいちばん勉強したのは、そのときの国家公務員一種の試験勉強ですね。国家一種試験は幅広い法律知識が要求されるので、勉強することによって日本社会の仕組みを理解できたように思います。
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