主婦業しかやってこなかった自分に何ができるのだろう――40代で入社し、経営者になって19年。AIの時代に目指すこととは。
(このコンテンツはBRAND PRESS連載「イノベーター列伝」からの転載です)
市場の常識を変えるような華々しいプロダクトやサービスが日々メディアに取り上げられる今日。その裏では、無数の挑戦や試行錯誤があったはずです。「イノベーター列伝」では、既存市場の競争軸を変える挑戦、新しい習慣を根付かせるような試み、新たなカテゴリーの創出に取り組む「イノベーター」のストーリーに迫ります。今回話を伺ったのは、政財界トップや富裕層を数多く顧客に持つハンドメイドスーツの老舗、銀座テーラーの代表取締役社長 鰐渕美恵子氏。創業家に嫁ぎ、先代社長の妻として安寧な生活を送るはずが、さまざまな要因が重なり同社の営業職に就き、そして社長へ。波乱万丈の運命をたどる同氏の半生を振り返ります。
学生時代は文学が好きで、特に三島由紀夫の作品をよく読んでいました。彼の作品は、西洋的な雰囲気がありながらも、日本が持つ“豪華”な美しさも内包されており、その魅力の虜になったんです。「キラキラしている」とでも言いましょうか。その世界観は今でも好きですね。
私の人生に大きな影響を与えたのは、1970年の大阪万国博覧会です。私は各国のVIPをもてなすコンパニオンを務めていました。当時は外国人を見るのも珍しい時代。そんなときに、世界を身近に感じる貴重な経験をさせてもらいました。小さい窓から広い世界をのぞき込んでいるような、そんな感覚でしたね。
銀座テーラーの2代目社長 鰐渕正夫のもとに嫁いだのは、1973年のことです。その後、専業主婦で子育てと家事を中心にした生活を送っていました。そのころは日本中が好景気に沸き、主人の羽ぶりも良かったですね。このまま穏やかに過ごせるかと思いきや、時代はものすごいスピードで動いていきました。
銀座テーラーにとって最も深刻だったのは、1990年代初頭のバブル崩壊です。銀座の街も人通りが一気に少なくなり、高級スーツの需要も激減しました。銀座テーラーの売り上げもガタンと落ち、社員の離職も相次ぎました。
そうした中、ある社員の推薦で、私が銀座テーラーに入社することになります。1992年、私は既に40代になっていました。「主婦業しかやってこなかった自分に何ができるのだろう」という不安もありましたが、「とにかく、この会社を立て直さないと」という思いの方が強かったのを覚えています。
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