グローバル×ローカルの視点で企業やブランドのビジネスをサポートするI&COのストラテジストが、現地で見たスポーツブランド各社の選択の違いを「競争地位の4類型」の視点でレポート。
先日幕を閉じたばかりの2024年パリオリンピック。日本時間8月29日からはパラリンピックがスタートする。そんな中今回、クリエイティブディレクターのレイ・イナモト氏が率いるI&COのストラテジストでパリ在住の角田奈菜氏が、五輪期間中におけるスポーツブランド4社のマーケティング戦略についてのレポートを寄稿してくれた。実際に現地に足を運んでみると、グローバルキャンペーンとは全く異なる、ローカルならではの戦略が見えてきたようだ。
今回は「競争地位の4類型」に沿って、現地での印象やフランス国内での状況を踏まえながら、4つのスポーツブランドのローカル戦略を分析してみます。競争地位の4類型は経営学者フィリップ・コトラーが提唱した競争戦略理論で、市場状況に応じて各ブランドのポジションを「リーダー」「チャレンジャー」「ニッチャー」「フォロワー」の大きく4つに分類し、領域ごとの戦略の必要性を説いたものです。今回、実際に現地で各社による施策を体感してきたところ、まさにこの類型のように、フランス国内でのポジションや状況ごとの戦略や狙いが見えてきました。
競争地位の4類型で「リーダー」に当たるNike(ナイキ)は現在、グローバルで「Winning isn’t for everyone」というキャンペーンを実施しています。平和を謳うオリンピックであえてストイックなアスリートの本音を打ち出すことで、常に選手の側に寄り添うブランドとしてのスタンスを強調している点が特徴と言えるでしょう。
これに対して現地では、グローバルとは異なる全方位戦略を展開していました。
アイキャッチになったのは、ポンピドゥセンターに設置された大型スクリーン。観光客だけでなく、地元でも大きな話題になっていました。またNikeは、パリ中心地だけでなく、さまざまな文化が混ざり合う郊外でもスポーツイベントを開催。都市部では話題性、郊外では多面性を狙った戦略で露出を最大化することで、若者たちの心をガッチリつかみ、ブランドとしての地位を確立したい狙いが感じられました。
背景にあると思われるのが、コロナ禍以降のスポーツ店の急増です。ファッション面でも人気のHOKAやSalomon、Lululemonなどがパリ市内に続々お店をオープンする中、苦戦を強いられているNikeとしての気概が感じられました。ポンピドゥセンターでの「Art of Victory」という展示では人気スニーカーの歴史や機能をあらためて伝え、アスリートの勝利を追求したからこそ結果としてNikeの美しいデザインが生まれていることを、若い世代に対して提示しました。また、生成AIを活用してアスリートと共同制作した競技靴も紹介。最新技術を駆使しながらアスリートの求めるものを作り出すという、ブランドの原点やこだわりを強調したコミュニケーションを実現していました。
Adidas(アディダス)はグローバルでは、アスリートが背負う周囲からの期待やプレッシャーと、そこから解放されることで発揮できる可能性に焦点を当てたキャンペーンを展開しました。
これに対して現地では「チャレンジャー」として、グローバルとは異なる差別化戦略を実施していました。パリの中心地に設置したのは、スケートボードやダンス、パルクールなど、普段見慣れない競技に触れあえる「GroundParis」という施設です。知らなかった競技やアスリートと出会えることで、オリンピックや都市型スポーツをより楽しめる機会を創出していました。全ての人に新しいスポーツとの出会いをもたらしてくれる空間で、包括性と多様性の視点を提供していたように思います。
フランスでも、「アスレジャー」を楽しむ人が増加しています。アスレジャーとは運動(アスレティクス)と余暇(レジャー)から成る造語で、スポーツウェアを普段着としても使うスタイルのこと。アスリートだけでなく、より広いターゲットに向けた施策を実施している印象のAdidasは、ユーロ圏のユニフォームブランドとしての展開や、ハイブランドとのコラボレーションなど、特にアパレル面で親しまれています。一方で、ストリートスポーツにおけるブランドイメージはまだ弱い印象で、今回フレッシュな五輪種目である都市型スポーツに焦点を当てることで、ストリートでのブランドイメージを強化し、新たな顧客層を取り込みたい狙いが感じられました。
「ニッチャー」に求められるのは集中戦略です。フランスでも着用する人が増えてきた新興ブランドのOn(オン)は、その代表格と言えるでしょう。グローバルでは「On Track Night」と呼ばれる、観客と一緒に創造する新しい陸上イベントを展開しています。そんな彼らはオリンピックを大きな見せ場と捉え、自社が得意とする革新性とサステナビリティーに重点を置いた戦略を実施していました。
若者が集まるパリの11区にオープンしたのは、業界の常識を変えるような革新技術の展示空間「On Labs」です。ここでは、足型に特殊素材を吹きかけてフィット感と通気性の高い靴を作る最新技術「Light Spray」を展示。サステナブルな素材が材料から繊維となっていく様子をデモンストレーションし、他ブランドとは違うOn独自のイメージを、開放的な空間や雰囲気で強調していました。
2023年にフランスで初の路面店をオープンするも、国内におけるOnのイメージはまだまだ形成途中といえます。同じく市場を拡大しているHOKAやSalomonと比べて、機能面に魅力を感じたランナーが多く購入している印象です。年代は絞らず「走ること」に重きを置いたイベントなどを展開しており、派手さはないものの、コアなファンを多く獲得してきました。五輪では女子マラソン3位のケニア選手が着用しており、これからのさらなる成長が見込まれます。
「フォロワー」として模倣戦略を展開していたのが、フランス総合スポーツ小売店のDecathlon(デカトロン)です。年齢や技術に関係なく、スポーツを通じて遊ぶことの喜びを再発見しようというスローガンの下、動画を中心としたコミュニケーションをグローバルで展開しています。発信しているのは、店舗から従業員まで、ブランドの中心にある「Play」の精神です。
一方、現地パリでは、五輪のボランティアユニフォームを手がけることで、市内各所で4万5000人がDecathlonのブランド名を掲げる広告塔となりました。さらに、親子でスポーツを楽しめる「Playground」を郊外にオープンし、オリンピック観戦コーナーやフードコート、DJイベントなどを幅広く展開。バカンス期間ということもあり、多くの家族連れで賑わっていました。五輪期間中に目につきやすく、公共性の高いタッチポイントでコミュニケーションを展開することで、ブランドの存在感をうまく演出していたように思います。
フランスでは、スポーツ小売業者がオリジナルブランドに注力する動きが加速しています。その筆頭とも言えるのがDecathlonで、2024年には小売業者からグローバルスポーツブランドへの転換を目指す計画を発表しました。その他にも、安価ながら良質なアウトドアブランドQuechua(ケシュア)や、サッカー製品ブランドKIPSTA(キプスタ)などが好調で、プロサッカーのリーグアンの公式ボールにも選出されています。英国の小売業者のJD Sportsも、独自ブランド「Pink Soda」などを展開しており、フランス有数のスニーカー小売業者であるCourir(クリール)を買収してパリに多数店舗を構えることで、顧客接点を強化しています。
最後に、日本のスポーツブランドの現地での取り組みもご紹介します。パリオリンピックで日本選手団に公式ウェアを提供するASICS(アシックス)は、現地でアスリートや関係者がくつろげるサロンのような場所をトロカデロ広場近くにオープン。各国の選手たちを招待してサポートしつつ、オリンピックと共に進化する最新技術やビジョンを紹介していました。
目に留まったのは、パーソナライズされたインソールを作れるブースです。年齢などのデータと数枚の写真を送るだけで、フランスに構えた自社のトレーラー3Dプリント工場から商品が約1日で届く仕組みです。Apple Vision Proを活用してアスリートのウェルビーイングを意識したトレーニング施設の様子を体験できるブースや、全パーツがリサイクル可能なサステナブル素材で作られたランニングシューズ「NIMBUS MIRAI」の展示もありました。ブランドが掲げるビジョンと、その具体例となる先進的な商品サービスや技術を通じて、今後のブランドの広がりを感じることができるASICSの取り組み。革新性とサステナビリティーに重きを置いたコミュニケーションを展開したOnに近い戦略と言えるかもしれません。
創業75周年を迎えたオニツカタイガーによるイベントの舞台となったのは、シャンゼリゼ通り。「ホテル」をコンセプトに、ブランドの歴史やものづくりへのこだわりと新しい挑戦を、アート、食、音楽と共に体験できる空間を提供しました。会場となった建物は、なんと普段は一般公開されていない、19世紀の歴史的建造物。シャンゼリゼ通りで日本ブランドとして初となる旗艦店のオープンを翌年に控え、地元民と観光客に強烈なイメージを残していました。こちらは有名な建物を会場に用いて話題作りを行ったNike、公共の場所をうまく活用していたAdidasやDecathlonなどの、ちょうど中間といった印象です。
日本からはミズノも、オリンピックに合わせて盗撮被害の抑制につながる「赤外線防透け」の特長を備えた生地を開発。14種目の日本代表ユニフォームで使用されるなど、技術力をアピールしていました。
このように、オリンピックなどの大規模イベントは、各社のブランド戦略や最新技術を披露する舞台となります。そこでの動向をしっかりチェックしておくことで、マーケティングやコミュニケーションの企画に役立てることができるでしょう。また、日本でも情報が手に入りやすいグローバルキャンペーンとは違い、現地でしか得られない情報もたくさんあります。当たり前かもしれませんが、大会期間中、グローバルとローカルでこんなに違ったコミュニケーション戦略を展開しているというのが、私にとって最大の気づきでもありました。
ニューヨークと東京、シンガポールに拠点を構え、グローバル×ローカルの視点で企業やブランドのビジネスをサポートしているI&COですが、私自身はパリ在住の立場として、引き続きここフランスや欧州からの視点を届けていければと思います。
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