エキサイト メディアサービス本部Womanメディア部の石上有理氏と村井麻衣子氏に話を聞きました。
(このコンテンツはBRAND PRESS連載「イノベーター列伝」からの転載です)
市場の常識を変えるような華々しいプロダクトやサービスが日々メディアに取り上げられる今日。その裏では、無数の挑戦や試行錯誤があったはずです。「イノベーター列伝」では、既存市場の競争軸を変える挑戦、新しい習慣を根付かせるような試み、新たなカテゴリーの創出に取り組む「イノベーター」のストーリーに迫ります。今回話をうかがったのは、検索エンジンやポータルサイトなどインターネット情報サービスを手掛けるエキサイトの石上有理氏と村井麻衣子氏。公共の場などで泣き出した赤ちゃんに焦るママに対し、「泣いても気にしていませんよ」と意思表示するためのステッカーを配布する「WEラブ赤ちゃんプロジェクト」の立ち上げメンバーです。大反響を呼んだユニークな取り組みの原点を探りました。
石上有理氏(以下、石上氏) メディアの仕事に興味を持ったきっかけは、学生時代に夢中になった海外旅行でした。アルバイトで資金をためて、タイやドイツ、スペインなど10カ国以上に足を運びました。特に行きたかったニューヨークへ渡航したのは、“9・11”(アメリカ同時多発テロ)の1年後。マンハッタンの中心部には警備員が10メートル間隔に立っていたり、世界貿易センタービルの跡地には行方不明者を探す方がいたりと、日本のメディアを通して見ていた印象とはどこか違っていました。帰国後、家族や友人に自分の体験を話しているうちに“伝える”という仕事に興味を持ち、卒業後は新聞記者の道へ。取材などで人と出会う機会が多かったので、一度出会った方のキャラクターを感じ取って他の方にも説明できるように把握する習慣が、このころに身に付きました。
その後、Webメディアの制作会社を経てエキサイトへ転職。入社後は「エキサイトニュース」を2年間担当。産休明けにママ向け情報サイト「ウーマンエキサイト」へ異動となりました。
これまでのキャリアの中で忘れられないのが、新聞記者時代に書いたある助産師の方を紹介する記事に対する読者からのクレームです。自分が電話で対応したのですが、その際に「あなた、子どもはいるの? いないから分からないのよ」と理不尽に言われてしまって。まだ若かったこともあり、その一言で傷つき、取材した助産師の方は立派な方だったのに自分の記事でそれを伝えられなかったことを申し訳なく感じました。そのとき、先輩記者から言われた「いろんな人がいるから、読者全員から良いと思われる記事を書くことは難しい」という言葉が印象に残っています。自分の伝えたいことが意図通りに受け取ってもらえるとはかぎらないけれど、書いたものを読者がどう感じるのか、という第三者の目線を大切にしながら、今も仕事に取り組んでいます。
村井麻衣子氏(以下、村井氏) 私は新卒でエキサイトへ入社しました。通っていた美大の卒業制作で掲示板サイトを作ろうと思い立ったのがWebサービスとの最初のかかわりです。幼いころからずっとアトピー性皮膚炎に悩んでいたのですが、「同じ症状の人と気軽に相談できる場所があったら」という思いから、老若男女問わずさまざまな地域の人とコミュニケーションできるネットの世界に着目しました。卒業制作の評価対象はデザイン面ということもあり実際の運用までには至りませんでしたが、普通に暮らしていたら出会うことがない人と対話できるというネットの可能性に魅力を感じました。
入社後は、モバイルサイトやポータルサービス、占いサービスの企画運営を担当。私自身が当時、占いのヘビーユーザーだったので、占いをするユーザーの視点に立った考え方ができてよかったです。その後、女性向けの情報サービス「ウーマンエキサイト」へ異動。もともとは独身女性向けのメディアだったんですが、姉妹サイトとしてママ向けメディアを作ることになりました。ちょうど妊娠中に立ち上げを担当し、産後復帰したあとに2つのサイトが統合して「ウーマンエキサイト」がママ向けメディアにリニューアルしたときも担当していました。キャリアを振り返ってみると、プライベートの変化に合わせるように、自分が読者とイコールの状態になれるサービスへ配属されていますね。
これまでの人生で最も影響を受けた人物は、レオナルド・ダ・ヴィンチです。画家でありながら医者として血液や筋肉の流れを把握したうえで絵を描いていたと知って、学生時代に私もまねをして骨の標本が載っている図鑑などを見ながらひたすらデッサンしていました。何事に対しても「なぜそうなるんだ?」という思考を持ちながら行動するという大切さを学びましたし、いまでもその視点は常に持っていたいと思っています。
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