第3回 マーケットの変質――「誰が何を何のために買うのか」が問われる時代――佐々木卓也(前編)【連載】インサイド+アウトサイド

「マーケター通信」コラムニスト 佐々木卓也氏は知識融合化法認定法人フュージョンの代表取締役社長。同社の20数年の歩みは、日本のマーケティングが変わり続けてきたその歴史と寄り添う。

» 2013年09月09日 08時00分 公開
[谷古宇浩司ITmedia マーケティング]

この人に話を聞きました

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佐々木卓也 マーケター通信「待ったなし!「市場の変化」と「テクノロジの進化」に対応する、データ活用の現場と小売業の次世代マーケティング戦略。」のコラムニスト。知識融合化法認定法人 フュージョン 代表取締役社長。小売業/メーカーにおけるCRM支援やID付POSデータ分析システムの提供と活用支援等、幅広い知見で顧客との距離を縮めるサポートを行っている。米国DMA公認ダイレクトマーケティングプロフェッショナル。


オフコンで構築した地図統計システム

 フュージョンは知識融合化法認定法人と言います。会社設立当時(1990年代はじめ)、日本には知識融合化法という法律があったんですね。簡単に言うと、中小企業を支援するための枠組みです。その枠組みに乗るため、弊社の会長(花井秀勝氏)が手書きで1000枚くらいの事業計画書を書きました。国に提出するとなかなか面白いことを考えているということで認定され、融資を受ける形で会社が立ち上がりました。

 知識融合化法認定法人は、弊社の他に全国で十数社あったらしいです。融資額は無利子で数億円。今だったら絶対に出ないような額です。ただ、認定法人として現在残っているのは弊社だけです。

 会社の立ち上げ当初は、官庁や民間商業施設の調査を受託する一方で、企業のマーケティングを支援するためのデータベース構築に力を入れました。データは、公開されている国の調査資料から探しました。商業統計(経済産業省)や国勢調査、家計調査(共に総務省統計局)など。そこから数字を拾い、データベース化して、オフコンのシステムを構築したんです。郵便番号、つまりZIPコードを叩けば、地域別の農産物の販売量や世帯構成などが明らかになるデータベースでした。今で言うGIS(Geographic information system:地図で見る統計)ですね。広告代理店や印刷会社、マーケティングコンサルティング会社に売れて、一時期は主力事業になっていたみたいです。

 その後、情報技術が進化するにつれて本物のGISが出てきたりして……、システム構築にリソースを割くよりも、マーケティングの考え方を提供する事業へシフトしようと経営の方針が変化していったのです。私が入社したのは2000年なんですが、ちょうどその頃のことです。

 当時は日本の企業においてマーケティングの考え方が大きく変わり始めた時期でした。新しい言葉も次々に輸入されていました。「データベースマーケティング」「ロイヤリティマーケティング」「FSP(Frequent Shoppers Program)」「CRM」などなど……。つまり、新しいビジネスの土壤ができつつあったわけで、このビジネスをどうやって自分たちのものにするか、ということを考え始めたんです。その頃の社員数は4〜5人でした。結局、当時始めたマーケティング事業を10年間続けてきて、それが今のフュージョンの中核事業に育ってきたので、私が社長をやることになったんですね。

1970年代から1980年代はいいものを作れば売れた時代

佐々木卓也氏。「私たちがやろうとしたのは、企業からデータを預かって分析し、顧客にアプローチしましょうというダイレクトマーケティングの支援でした」

 私たちがやろうとしたのは、企業からデータを預かって分析し、顧客にアプローチしましょうというダイレクトマーケティングの支援でした。しかし、2000年当時、そういうことを事業としてやろうとする会社はありませんでした。Pマークが改正されたのは平成15年5月30日です。企業には、自分たちの顧客のデータを他の会社に渡すということの素地がなかったんですね。また、CRMやDB絡みの仕事はIT企業がやるものという考え方が一般的で、マーケティング会社にデータだけ渡すということには違和感があったようです。私たちがお付き合いしていたのは主に小売業なんですが、彼らもデータだけをマーケティングの会社というか、外部の会社に出すなんてやったことがないと言っていました。

 この頃から企業におけるマーケティングのあり方というか、考え方が少しずつ変わってきたのだと思います。というのも、市場の性質が変わり始めたからです。それまで企業は商品が何個売れたとか、そういうことはデータとして持っていたんですね。しかし、その商品を、「誰」が「いつ」、「どこ」で買っているのか、ということはあまり真剣に考えてこなかったのです。

 少し昔を振り返ると……、1970年代から1980年代はいいものを作れば売れた時代、と言ってよいと思います。少なくとも、21世紀現在のマーケットとは明らかに異なる性質を有していました。お店の数は(今よりも)少なく、世代ごとの人口も異なりました。私は今39歳ですけど、子供の頃は同学年の生徒が300万人くらいいました。今は小学生の一学年が110万〜120万人とか言われています(日本の統計 第22章 教育:小・中学校の学年別児童数と生徒数/平成23年)。

 当時は、「絶対的なニーズ」というのが、あったんですね、不思議な言葉ですけど。「みんなが欲しいもの」はわりとだいたい決まっていて、流行も大きなのが1つあって……。そんな状況だから、良いものを市場に投下すれば、ある程度売れた時代だったんだと思います。1990年代に入ってバブル経済がはじけ、市場の性質がゆっくりと変質していきました。そして、2000年以降の10年間で消費者が受け取る情報の量がものすごく増えました。その結果、市場と消費者を巡る状況は、今から見ると、決定的に変わってしまったんです。人々のニーズが多様化してしまったんですね。「“わたし個人”が欲しいもの」をメーカーや流通が真剣に考えないとモノが売れない時代になってしまったんです。

▼後編に続きます

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