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コロナ禍での政府の圧力への対応をMetaは後悔 “反ワクチン”投稿制御はやり過ぎだった?Social Media Today

ソーシャルメディアの「言論の自由」を巡る議論において、政府機関がプラットフォーム上のコンテンツに介入しているのではないかという見方がある。この点について、重要な論点を整理しておきたい。

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 2024年8月26日(米国時間)、MetaのCEOであるマーク・ザッカーバーグ氏は、ジム・ジョーダン下院議員(共和党)に宛てた書簡で、Metaが過去に行った政府からの誤情報削除要請への対応、特にCOVID-19とハンター・バイデン氏のノートPC事件関連での対応について、後悔していると表明した。

 これらはどちらも保守派が重要視する主張であり、現代のソーシャルアプリに対する根本的な批判点となっている

Metaとマーク・ザッカーバーグ氏は何を間違えた?

 イーロン・マスク氏が旧Twitterを引き継いだ直後に社内で入手した「Twitterファイル」(※)の暴露においても、マスク氏が選んだジャーナリストチームは、政府の過剰な干渉の例として、この2つのトピックスに焦点を当てた。

※編注:イーロン・マスク氏がTwitterを買収した直後に公開した同社の過去の内部文書の数々。

 しかし、それらが本当に過剰な干渉なのかどうかは、見方による。

 今になって振り返れば、確かにこれらは政府の検閲の例であり、パブリックな情報プラットフォームが悪用されている可能性を示唆している。しかし、当時のTwitterのモデレーションスタッフが入手できた情報量を考慮すれば、その対応も理解できる。

 ジョーダン議員が委員長を務める下院司法委員会の公式Xで公開された書簡(外部リンク/英語)の中で、ザッカーバーグ氏はこう説明している。

2021年に、ホワイトハウスを含むバイデン政権の高官から、COVID-19に関する特定のコンテンツを検閲するよう、数カ月にわたって繰り返し圧力がかけられた。そこにはユーモアや風刺コンテンツまで含まれており、われわれが(政府の要請に)同意しなかったときには、非常に強い不満が示された。最終的にコンテンツを削除するかどうかはわれわれが決定することであり、これに関する変更についてはわれわれ自身が責任を負う。政府からの圧力は間違っていたと思うし、それに対してもっと声を上げなかったことを後悔している。

 ザッカーバーグ氏も当時のTwitter管理者と同様に、政府当局がパンデミックに関する特定の見解、特にワクチンへの不信感に関する見解を抑えこもうとしていたことを指摘している。

 それは、ワクチン接種を最大化し、国を正常に戻すためではあった。実際、バイデン大統領は、ソーシャルメディアプラットフォームが反ワクチンの投稿を削除しないことで「人を殺している」と公に発言したこともある。同時に、ホワイトハウスの高官たちは、あらゆる手段でソーシャルプラットフォームに圧力をかけ、反ワクチン発言を取り締まるよう求めていた。

 ザッカーバーグ氏はプラットフォームが置かれた困難な立場に関して、次のように述べている。

新しい情報を得た今となっては、当時とは異なる選択をしたかもしれないとも思う。このようなことが再び起こった場合、私たちは反撃する用意がある。 当時私がチームに言ったように、どちらの方向であれ、どの政権からの圧力によってもコンテンツ基準を妥協すべきではないと強く感じている。

 元Twitterで信頼安全部門の責任者を務めたヨエル・ロス氏も、Twitterが反ワクチンの投稿やそうした投稿をするアカウントを削除するよう求められていたことを認めている。また、同じく元Twitterの信頼安全部門の責任者であった デル・ハービー氏も、同様の懸念を処理する際に下さなければならなかった判断について以下のように言及している。

もし信じたら誰かが死んでしまうような内容であれば、それは削除したかった。 すぐに死ぬようなことではないもののあまりいい考えではない、あるいは誤った情報であるような場合は、そのことを明記するようにしたかった。

 この発言は、パンデミックの時期における重要な議論の核心を突いている。政府関係者や保健専門家は、ワクチン接種率が最大化されなければCOVID-19の死者が増えると警告していたのだから。

 結局のところ、ソーシャルプラットフォームは当時の情報に基づき、これらのケースに対して過剰に対応した部分があった。しかし、これはあくまで保健当局からの公式情報に基づいて行われたものであり、急速に変化するパンデミックの状況に対応した結果であった。

 そのため、ソーシャルプラットフォーム各社の判断について後付けで評価することは、当時の不確実性を無視し、パンデミック対応全体に関するイデオロギー的な見解を優先する不公平な判断となる。彼らは確かにこの状況の一端を担っていた。だが、当時の決定の主体というわけではなかった。

 これは「言論の自由」の侵害なのだろうか。繰り返しになるが、それは見方次第だ。だが、当時の論理と文脈からすると、そのような呼びかけは公式なアドバイスに従って行われたのであり、情報統制や抑圧の手段として課されたものではないと考えられる。

(「大統領の息子の事件をフェイクニュース扱い 『モデレーション』はなぜ難しいのか?」に続く)

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