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第5回 「PDCA」の意外な歴史と本質【連載】清水誠のWeb解析ストラテジー(1/2 ページ)

略語が1人歩きし「改善は継続が大事。がんばろう」で終わっていることが多い「PDCAサイクル」は、デミング博士によって1950年に日本に輸入され、サンプリングと分布という統計的なアプローチと品質管理の概念は日本の産業に大きく影響を与えた。100年の歴史から学ぶべきことについて、改めて整理する。

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 PDCAは、「Plan-Do-Check-Actの反復のことでしょ」と略語を知っているだけで分かったつもりになりがちです。このPDCAとは一体何なのでしょうか? 改めて調べてみました。

 きめ細かさやコツコツと積み重ねる姿勢、優秀な現場、飽くなき改善魂を持つ日本人にとっては、「PDCAなんて当たり前」かもしれませんが、日本のQCサークルはUSで発達した統計的な品質管理の考え方に影響を受けているという歴史的経緯は、あまり知られていません。

 PDCAサイクルは、USの統計学者ウィリアム・エドワーズ・デミング博士(1990〜1993)によって提唱され、普及しました(そのためにPDCAサイクルはデミング・サイクルとも呼ばれる)。デミング博士が参考にしたのは、1925〜1926年にともに働いたウォルター・シューハート博士(1891〜1967)による統計的品質管理です。当時の製造業における品質管理は、製造された製品の品質をすべて検査し、基準を満たさない製品を排除するという破壊的なプロセスが一般的でした。一方、シューハート博士は品質のバラツキに影響を与える要因を管理できない「特殊要因」と、管理できる「一般要因」に分け、「一般要因」を好ましい状態に制御することで品質の統計的な分布を一定の許容範囲内に収めるという考え方を提唱しました。これによって、不良品の発生を防止しつつ、品質の維持が可能になります。トヨタ流にいうと、「工程において品質を作り込む」という考え方です。

 このシューハートの考え方に影響を受けたデミング博士は戦後の1947年に、国勢調査の準備のためにGHQによって日本に派遣されました。それがきっかけとなり、1950年に再来日。経営者や管理者向けの「品質の統計的管理8日間コース」を皮切りに2カ月間で数々の講義を開催しました。この講義シリーズには主要な製造業のトップが参加し、その後の日本におけるQCサークル活動の源流となりました。日本の製造業が高い品質を武器に大きく成長していったのは広く知られている通りです。博士はこの時の講演料や速記録の印税の受け取りを辞退したため、それを原資としてデミング賞が創設されました。1960年には、日本産業発展への貢献に対して、日本政府から勲二等瑞宝章を授与されています。

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