売り上げは予想の11倍 英国の老舗銀行がデータの分断を乗り越えて実現した「オムニチャネルバンキング」とは?:世界の革新的マーケティング戦略
金融業界において、最新のイノベーションの活用によって銀行業務の現状と可能性に関する顧客の体験を変革し、予想の11倍の売り上げ増加を達成――。そのためにTSBは何を行ったのか。アドビのコンサルタントが解説します。
英国の大手リテール銀行の一つであるTSB Bank(以下、TSB)は、設立から200年以上経過した現在、金融業界の商品中心の販売モデルを見直し、真の顧客中心のマーケティングへの移行を進めています。そのために特に重視したのが、リアルタイムなデータ処理とシームレスなクロスチャネルエクスペリエンスの提供による、コマースとコンテンツマーケティングの革新です。
オムニチャネルバンキング実現を阻む課題とは?
TSBが実施した調査によると、71%以上の消費者が「パーソナライズされた銀行取引体験を期待している」と回答しています。TSBはこの期待に応えるべく、「Adobe Experience Cloud」を導入して顧客エンゲージメントを強化してきました。これにより、リアルタイムデータを利用して顧客がアプリ内で安全に借り入れできるローン金額と利率をカスタマイズできるようにするなど、より適切で責任あるオファーを提供できるようになっています。
顧客の心に響くよう改善を重ねた結果、TSBのモバイルチャネルでのローン商品の売り上げは実に300%増加しました。今ではアプリ内ローン申請が総売り上げの75%を占めるようになっています。以前の比率は24%であったことから、驚異的な増加と言えます。
TSBは当座預金、普通預金、ローン、住宅ローン、保険など、幅広い金融サービスを500万人以上の顧客に提供しています。目指すのは、200年以上の歴史に現代的なバンキングプラットフォームを融合させることです。
卓越したパーソナライゼーションによる価値提案は、伝統的な大手銀行の課題(顧客のニーズに合わせて近代化するのに苦慮している)とデジタル専業銀行の課題(提供できるサービスの種類に限りがある)の両方を解決します。TSBの最優先事項は、チャネルをまたいでリアルタイムに顧客データを収集・分析し、顧客体験の最適化に必要なインサイトを獲得できるようにすることでした。また、パーソナライゼーションを大規模に提供するために、より包括的かつ迅速なアプローチを採用したいと考えていました。
そこで大きな課題となったのが、データの分断でした。社内に存在するデータが統合されていなかったことから、必要なデータを取得するまでに数多くのステップが必要で、データに関するリクエストを受けてから回答するまでに3日から5日かかっていました。これにより、分析や施策のリアルタイム性が低く、顧客に対して適切なタイミングで適切な情報を提供できず、さまざまな機会損失が発生していました。
顧客体験に利用できるデータの種類が限られていることも課題でした。これまでは銀行のデータウェアハウスにある非構造化情報しか入手できていなかったため、Webサイト、電子メール、広告、支店窓口、電話サービスなど、さまざまなチャネルにおける顧客の行動を詳細に把握することができませんでした。
顧客にひも付くデータへのアクセスは厳しく制限され、データ連携の際にはIT部門へのリクエストが必要でした。その上、サーバ間のデータ転送の度に約24時間のタイムラグが発生し、実際に顧客データを収集してからその情報を活用できるようになるまでにはさらに長時間待つ必要がありました。顧客の行動に基づいたオファーをメールで配信するにしても、メールが届くのが約1週間後になってしまうのでは、顧客の興味は薄れてしまいます。
メールマーケティングは銀行にとって最も効果的かつ効率的な販売チャネルの一つであるはずですが、このように大きなボトルネックを抱えていました。課題はそれだけにとどまりません。そもそもメールの作成と配信を外部の企業に委託していたため、マーケターが顧客にパーソナライズされたコミュニケーションをリアルタイムで提供することは事実上不可能だったのです。このような状況を打破するため、メールテンプレートの作成や配信したメールの効果検証といった業務の内製化推進も、重要なテーマとなりました。
目的はツール導入ではなく真の顧客中心のマーケティングの実現
TSBは「Making customers money-confident(顧客がお金に関して自信を持てるようにする)」というスローガンを掲げ、アドビと協力して変革に着手しました。データの分断を解消し、従来の連続性のないキャンペーンを、顧客を中心に据えた統合された体験で置き換えようと決断したのです。
データの分断の解消やリアルタイムなパーソナライゼーションのため、まずはデータの統合が必要になります。そこで顧客データプラットフォーム(CDP)を導入することになるわけですが、ここで重要なのは、CDPの導入それ自体は目的ではなかったということです。目的はあくまで、真の顧客中心のマーケティングを実現するために、優れた顧客体験を提供することにありました。
Adobe Real-Time CDPから得られるデータにより、TSBでは30万人以上の顧客がクレジットカードの口座引き落としを設定しておらず、延滞料金が発生するリスクがあることが分かりました。そこで、メールに限らずプッシュ通知などさまざまなチャネルを活用して、口座引き落としを設定するよう誘導するオファーを配信しました。これには、リアルタイムにオムニチャネルのコミュニケーションが実現できる「Adobe Journey Optimizer」を利用しました。結果として、施策開始前の6カ月間ではわずか10人程度であった口座引き落とし登録数が、施策開始後の最初の1週間だけで3000人以上に増える結果となりました。
リアルタイムに顧客プロファイルを利用するために
多くの銀行がデジタル変革を外側から始め、連続性のないカスタマージャーニーを改善するためにエンドポイントのエクスペリエンスに注力していたのに対し、TSBではアプローチを内側から再定義し、再構築しようとしました。
TSBは英国の金融サービスで「Adobe Experience Platform」を導入した初めての企業です。まずはこれを使って、スマートフォンアプリ、Webサイト、ダイレクトチャネル、メール、SMS、DM、ペイドメディア、支店窓口、電話サービスなど、オンラインとオフラインのあらゆるチャネルにおける顧客体験をつなぎ合わせることに着手しました。
Adobe Experience Platformはチャネル間でデータをシームレスにやりとりし、それぞれのチャネルでリアルタイムに顧客プロファイルを利用できる唯一のプラットフォームでした。これにより、およそ3日から9日かけていたデータ処理を24時間未満に短縮できたと同時に、あらゆる顧客チャネルからより多くのデータをより多くの形式で収集することで、データを基にしたリアルタイムなパーソナライゼーションを提供できるようになりました。
メールの一斉配信のようなマーケティングから脱却して新たなアプローチに転換したことにより、売り上げは予想の11倍まで増加しました。現在、TSBの総売り上げの6%はデジタルマーケティングチャネルを通じて獲得しています。また、顧客接点の80%以上がデジタルおよびオンラインとオフラインの複合によるものであり、ライブ動画チャットや対話型botとのWebチャットなどのサービスが活用されています。
将来を見据えて、より詳細なパーソナライゼーションを実現
TSBは現在、あらゆるマーケティング活動をデータドリブンに行っており、カスタマージャーニーの設計が戦略の中心となっています。次のステップは、ファーストパーティーデータとサードパーティーデータの両方を活用し、ネクストベストアクション戦略(次に何を、いつ、どのチャネルで提供すべきか)を確立することです。収集した豊富なデータにより、どのようなメッセージを、誰に、いつ、どのチャネルを用いて送るべきかを把握し、顧客が自ら銀行にコンタクトしてくるような最適なコミュニケーション手法を確立することを目指しています。
多くの金融機関は、社内の営業優先順位に基づいてマーケティング施策を展開します。これに対しTSBは、顧客がどのコンテンツやプロモーションをいつ見るかを制御できる、対話型のアプローチに移行しています。また、将来を見据えて、よりパーソナライズされた顧客体験の提供に注力しています。顧客データを利用して、適切な個人に適切なメッセージを送るのに加え、ブラウザ上のターゲティングされたバナー広告やWebサイト上のプロモーション動画といった、顧客がTSBのプラットフォームとやりとりする際に目にするビジュアルアセットのパーソナライズに注力しています。
TSBのCMOを務めるエマ・スプリンガム氏は今回の取り組みについて次のように述べています。
「銀行業務は本質的に個人的なものであり、他の多くの業界よりも顧客に大きな影響を与えます。アドビとのパートナーシップによって実現したパーソナライズされたデジタルエクスペリエンスは、当社に資金管理を任せてくれる顧客とのより深く有意義なつながりを築くのに役立ちます。この効果は売り上げへのインパクトに留まりません。顧客に価値を認めてもらい、人生の節目の瞬間を実現してもらうことが目的なのです」
シームレスなカスタマージャーニーの創出はあらゆる業界で話題になりますが、金融サービスでは特に重要な取り組みです。顧客がモバイルアプリやWebサイトを直感的に操作して、迅速かつ確実に財務を管理できる必要があるのはもちろんのこと、詐欺や異常なアクティビティの可能性を警告して顧客を保護することも期待されます。
そのために重要なのが、顧客がどのような行動をしているかをリアルタイムで把握し、顧客が迷うポイント、ジャーニーの中断、フォームの放棄などを特定した上で、データに基づいて適切なタイミングで一人一人に最適な顧客体験を提供できる仕組みを構築することです。
日本国内では、マーケティングの高度化を検討する際、分析および施策に関するリアルタイム性や大規模なパーソナライゼーションを展開するという要件は依然として優先順位が低いのが実情です。TSBのような真の顧客中心のマーケティングを実現するためには、まずどのような顧客体験を提供すべきかを検討し、分析、予測、最適化に関する現状の課題を洗い出した上で、要件を満たすためのプラットフォームおよび組織を構築していくことが求められます。
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