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フェンシング日本代表を支えるアナリストの闘志――日本フェンシング協会 千葉洋平氏イノベーター列伝(1/2 ページ)

新市場の創造を目指す挑戦者を紹介します。

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BRAND PRESS

(このコンテンツはBRAND PRESS連載「イノベーター列伝」からの転載です)

 市場の常識を変えるような華々しいプロダクトやサービスが日々メディアに取り上げられる今日。その裏では無数の挑戦や試行錯誤があったはずです。「イノベーター列伝」では、既存市場の競争軸を変える挑戦、新しい習慣を根付かせるような試み、新たなカテゴリーの創出に取り組む「イノベーター」のストーリーに迫ります。今回話を伺ったのは、フェンシング日本代表チームのデータアナリスト、千葉洋平氏。東京五輪に向けてフェンシングの競技力向上をバックアップしている同氏に、今後のスポーツ界におけるデータ分析の進化について聞きました。

トレーナー志望からデータアナリストへの転身

 もともと私はプロサッカー選手を目指していました。子どものころからゴールキーパーとしてサッカーに夢中になっていましたが、高校生になると、度々けがに見舞われてしまいました。そのたびに自分でテーピングを巻いたり、リハビリを繰り返したりするうちに、アスレティックトレーナーの仕事に興味を持つようになりました。


千葉洋平
ちば・ようへい 1982年生まれ。2009年より日本スポーツ振興センターにて、フェンシングを中心にスポーツアナリストとして活動。フェンシングにおけるゲーム分析手法を開発し、1年に500試合以上の分析を実施。さらに効率的な映像やデータのフィードバックを行うために、クラウドシステムやIT機器を導入して選手、コーチをサポート。ロンドン五輪では日本のメダル獲得に貢献、リオデジャネイロ五輪を経て、現在は東京五輪へ向けてフェンシング男子フルーレナショナルチームのアナリストとしてチームをサポートしている。日本スポーツアナリスト協会理事として、スポーツアナリストやスポーツアナリティクスの普及啓蒙活動にも携わっている。

 進学した大学では、トレーナーの勉強をしながら、サッカー部に帯同してトレーナーの実務を行うようになりました。そのころには、選手を諦めて、プロサッカークラブや日本代表のような競技性の高いところでアスレティックトレーナーとして活動していきたいと思っていました。

 2008年には、文部科学省の委託事業である「マルチサポート事業」(現在はスポーツ庁の委託事業として「ハイパフォーマンス・サポート事業」に改名)という取り組みが始まりました。これは、オリンピック・パラリンピック競技大会においてわが国のトップアスリートが世界の強豪国に競り勝てるよう、メダル獲得が期待される競技をターゲットとして、アスリート支援や研究開発など多方面から専門的かつ高度なサポートを戦略的・包括的に行っていこうという取り組みです。

 その事業スタッフの公募があったので応募したところ、科学スタッフとして採用されることになりました。このように、当初はアナリストという明確な職務ではありませんでした。また、最初にサポートしたのはフェンシングではなく、競泳でした。水中で映像を撮影し、簡単な動作分析をする程度で、いま考えればあまり高いレベルのサポートはできなかったと思います。

 その数カ月後に、フェンシングに関わるようになります。2009年のワールドカップ・ベネチアグランプリ大会に帯同させてもらったのが始まりでしたが、このときのフェンシング協会からのオーダーは、「とにかくたくさん映像を撮って、それをデータベース化し、選手やスタッフに見せたい」というシンプルなものでした。

 しかし、現場からは、「あの選手のポイント獲得シーンだけが欲しい」「日本人選手の失点シーンだけが欲しい」といった要望をもらいました。もっとも、そういった映像だけでは、使用用途に汎用(はんよう)性がありません。苦労して映像を切り出して特定のシーンをまとめても、それを見て終わり。時間はかかるのに効果が小さいんです。そんなときに、「スポーツコード」という分析ソフトに出会いました。

データ分析の力でスポーツ界が変わる

 スポーツコードは、シドニー五輪のときにオーストラリア国立スポーツ研究所(AIS)という組織が開発したもので、スポーツの戦略分野で世界的に使われているソフトウェアです。撮影した試合映像をデータベース化し、さまざまな分析を行うことが可能になります。切り出した映像にタグを付け、特定のシーンに対して付加したタグ情報を集計して数値化したり、編集した映像をまとめて見て分析したりできることに魅力を感じ、スポーツコードを導入することにしました。

 当時は、ちょうど日本のスポーツ界がデータ分析の転換期に差し掛かっていたタイミングだったように思います。スポーツコードは既にラグビー日本代表チームやバスケットボール、テニスなどで導入されていたので、私はそれらの競技のアナリストの方々から指導を受けました。中でも、日本スポーツアナリスト協会の代表理事を務めている渡辺啓太氏は、2008年の北京五輪以前からバレーボールの分析を行っており、大きな影響を受けました。その学びをもとに、フェンシングの競技特性に合わせて自分なりの分析の形を作っていきました。

 その成果を感じることができたのは、2010年のアジア選手権です。当時、韓国にはとても強い選手がいました。日本選手が彼に勝つのは至難の技で、北京五輪で銀メダルを獲得した太田雄貴選手(現・フェンシング協会会長)ですら、過去の対戦で勝ったのは1度だけというほどの実力者でした。そこで、「日本人選手は、彼のどんな攻撃を受けてポイントを奪われているのか」「彼がどんな場面で失点しているのか」といった分析を行い、一つの有効な戦略を見つけることができました。その結果、その韓国選手との試合では、われわれの導き出した戦略が見事にはまり、得点を重ねることができました。分析作業によってあぶり出した相手の弱点を基に立てた戦略により、われわれの弱みを強みに変えることができたのです。

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